今日は、初東北公演! そして、初体育館公演!
ということで、宮城県石巻市のとある高校におじゃまさせていただきました。
皆さんもご存じの通り
石巻は東日本大震災において、津波によって大きな被害を受けました。
あれから6年の歳月がたちました。
僕は東京出身で、知識では知っていたとしても
この6年の間に徐々に記憶の中から薄れていました。
アップでランニングをしようと高台にある高校から、数百段ある階段を下り町におりました。
「津波」という言葉は端の端に追いやられていたのだろうと、今になって思います。
階段を下りてすぐに飛び込んできたのが、、、
金次郎です!!
ほんとに導かれたのかと思うほど、奇跡的なめぐりあわせでした。
この像は地元の小学校のものでしたが、津波によって頭部が破損してしまったんですが、
地元の人が修復し飾られているものだそうです。
すぐとなりには、、、
2011.3.11と記された碑。
なにもかも流されて失っても供養したいという一心で建てられたものでしょう。
これを見たときに「津波」という二文字が浮かび上がったきて、
海の方に走りだしました。
海の香り、風は濃すぎるほど感じるのに手が届きませんでした。
バリケードが敷かれ立ち入ることができません。
荒れ地の先には大きく土が盛られ、おおきな堤防を建てています。
距離にして800mほど。しかしその海には六年たっても手が届かないという現状がありました。
こんなに進んでいないなんて、その現状に言葉を失いました。
ニュースでも被災地の報道が減り、勝手に復興したかのように思いこんでいたんだということに気付かされました。
広大な荒れ地、途方もなく、絶望すら感じる景色
その中に大きな叫びがありました。
これを書いた人は、どんな思いで書いたのだろう、
どんな苦しみをかかえていたのだろう、、、
歯を食いしばり刻み込む人の顔が浮かびました。
文字も剥げはじめていて、最近できたものではないことはすぐにわかりました。
神社やお寺の修復工事もいたるところでおこなわれていました。
またお墓では、流されて砕けた墓石やお地蔵さまなどが積み上げられており、
跡地にには新しいお墓がいくつもたっていました。
(写真は撮りませんでした。)
港の方でも瓦礫の山が残っていて
ショベルカーが少しずつ崩している状況が続いているようです。
黒い小さなねこが僕の前をトコトコ、時々後ろを振り向き、、、
おそらく震災後に生まれた子だと思います。
高台からは町の様子がよく見えました。
杭に記された言葉、
失ったからこそ、譲れない思い。
たたでは起きない、その先に、未来に。
自分もこうありたい。そう強く思いました。
話せばまだまだありますが、説明が多くなるのは嫌なのでこのへんで。
ただ知ってほしくて、覚えておいてほしくてこの投稿をしました。
東北にはまだこんな地があるということを。
僕も知らなかったです。
魔法も使えません。
けれど少しでも知れたからこそ、少しでも触れられたからこそ考えられることもあるのではないかと思いました。
まずは知ることだと思い、書かせていただきました。
見てくださってありがとうございました。
知ってくださって、ありがとう。