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2011年5月21日土曜日

陸前高田復興支援公演

先日アテルイ班数名で、岩手県陸前高田市に、復興支援公演に行ってまいりました。

今日はその時のメンバーの一人、塚越光くんにその日の公演レポートを書いてもらいました。

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アテルイ班の塚越です。
今日は全国公演初日から時を少しさかのぼり、先週の出来事についてです。
去る5月13日、アテルイ班から数人が津波被害の大きかった岩手県沿岸部の陸前高田にある避難所へ復興支援公演と炊き出しの手伝いに行って参りました。メンバーは戎本、宮本、山口、客演の山本さんと、私、塚越です。

当日は朝7時に村を出発。よく晴れた風の強い日でした。
炊き出しを行う角館商工会青年部の皆さんと近くで合流し、車で走ること3時間半。突如飛び込んできた光景に一同息をのみました。
青空の下、未だ水を多く含んだ土と季節外れの剥げた木々。
左を見れば青々とした山といくつかの農家が、右を向けば黒々とした土壌がむき出しになり、折れた木々が葉も落として重なり合っている。
丁度私たちの走る道路が津波到達の境界線でした。

目的地の陸前高田第一中学校に到着。学生たちが校舎で授業を受けているすぐ横、校庭にはぎっしりと仮設住宅ができていました。

まずは炊き出しの準備です。
牛丼を400食。炊き立てのご飯に大きな鍋から具を乗せて、卵と紅しょうがをトッピング。全てが冷めないうちに急いで待っている方たちの所へ届けます。

全員分を配り終えた後、一同が避難所の体育館に挨拶に行くと、皆さん「ありがとう」「おいしかったよ」という言葉と拍手で迎えて下さいました。
炊き出しのテントに戻ると、商工会の皆さんは目を赤くしながら、さらなる笑顔でおかわりに来た方々に牛丼を振舞っていました。
ようやく実現した今回の炊き出し。人と人との交流の中で復興に向けた新たなエネルギーが生まれたようでした。

わらび座メンバーは午後一番にアトラクションを。
ステージ上で生活している方々もいましたが、公演の際には快く場所を空けて下さり、前からお子さんとニコニコとこちらを見ていて下さいました。
いくつかの歌舞を披露し、最後にはわらび座が学生への踊り指導後に必ずみんなで歌う『輝け君の命』という歌を歌いました。
この歌には手話がついていて、体育館の皆さんにも覚えて頂きました。手話だけでなく、一緒に一生懸命歌って下さる方も多く、嬉しかったです。

この避難所は高台の上にあり、公演の終わった後、校庭奥の林の向こう側へ案内して頂きました。街の中心部と海岸線を一望できる場所です。

言葉になりませんでした。今の私では祈ることしかできませんでした。眼下に広がる街1つ分のガレキの山。それは自然物も人工物も乱れて積みあがっていて、"ガレキ"としか呼べず、砂埃の舞う中で撤去作業が進められていました。
「ようやく道路が整備できて復興作業ができるようになった。でもまだ、生まれ育ったこの街でこの私たちが道に迷うんです。」と、お話を伺いました。「ここを登って逃げてきた。」と指さされた先は、足元の、枝葉や草が絡み合って先の見えない、歩けるとは到底思えない崖でした。「津波の音に追われて後ろも見れずに山を登っていると、視界の端の道路ではガレキと水が自分より先に坂を上がっていく。とにかく夢中で走った。」とも。

そんな中でも静かに目に映る海や山は綺麗でした。
街の所々で元気に泳ぎまわる時期遅れの鯉のぼりは、市民の希望と安らぎかもしれない。そして、高台からの景色の真ん中に悠然とそびえる奇跡の松。ど根性松。テレビの報道でもよく目にした、塩害にさらされる、そのたった1本の松。
本当に大きく、よく見えるんです。枯らしてはならない、倒してはならないということが言葉ではなく心で理解できました。

力仕事でも何でもすると避難所に飛んできて、旨い飯をつくってくれと言われ、ずっと食事をつくり続けているコックさん。
太鼓を出すなり、私たちの搬入作業を手伝うと言ってくれたおじいさん。
小さい子どもたちと一緒に遊び、笑顔を絶やさない大阪県警のお兄さん。(よく子どもたちの指でつくった銃に撃たれているそうです。板についていました。)
避難所ではみんなが自分のできることを探し、また、発見して動いていました。
私たちはわらび座の役者として、そんな皆さんに勇気をもらって帰路につきました。

ミュージカル『アテルイ』。
自然の美しさも恐ろしさも、人の夢も希望も目一杯詰め込んで上演できればと思います。今日も僕らにできることを。

月末にはさらに人数を増やして釜石と山田町に支援公演に行ってきます。