わらび座オンラインショップ

2011年4月12日火曜日

4月9日、10日岩手県日誌

 久しぶりです。響 組合長 つよしです。
 
 今日はいつもの組合長の ちょっととぼけた感じではなく 真面目な組合長でこのブログを進めたいと思っています。 
 皆さん、ちょっと長くなりますがどうぞお付き合い下さい。

 その前に、今回の大震災で被災された多くの方々と原発の事故で大変な苦労をされていらっしゃる沢山の方々にお見舞いを申し上げますと共に、地震や津波で亡くなられました沢山の方々のご冥福をこの場をお借りしましてお祈り申し上げます。

 さて、4月9日 10日 の2日間 響の ツヨシ、大輔君、ヅンちゃんの3人は 岩手生協の炊き出し隊 "牛丼1万食プロジェクト" の皆さんに同行して、岩手県の大槌町・陸前高田市の避難所を訪問してコンサートをお届けして来ました。

 きっかけは、阪神淡路大震災の時に当時の "虹" というわらび座のグループが大変なときこそ元気を出してもらおうと地震が起きて一ヶ月後の神戸に入って各地の避難所を廻る活動をした事です。
 今回は地元の東北を中心に大変な被害が出ている中、私達がこういう活動をせずにいて良いのかという思いと、岩手生協さんの救援活動が結びついて実現しました。
 私たちにコンサートの機会を与えて下さった岩手生協の皆さん、そして快くコンサートの開催を引き受けて下さった避難所の皆様 本当にありがとうございました。

 では、さっそく日誌の始まりです。

  プレ岩手行   (約一週間前 岩手で避難所の訪問コンサート出来ないかとの打診。分かりました、行きます!と即答。しかし、スケジュールの関係でこの時は10日のみ行くという予定。班の皆にその旨告げると、休みが無くなってもいいから、9日も行きたい!いや、行こう!と、逆になぜ行かないのか!と詰め寄られる。響の意向を伝えると劇団もそう言ってくれるのを待っていたと言わんばかりにすぐ9日も行く事に決定。)

  4月9日(土曜日)・・・雨

  朝、8:15に劇場前に集合。よりによって雨だ!
 雨で道路状況が悪くなっている上に、7日の夜に起きたM7.2の余震で気持ちが落ち着かない。

 9:40岩手生協に到着。炊き出しの準備をしていらっしゃる生協のみなさんと合流。挨拶をする。

  10:00生協を出発。釜石経由で大槌町に向かう。途中何事もなく順調に釜石まで行く。
 所が、釜石市内に入ったとたんに景色が一変! テレビでは見ていたので驚きはしないだろうと考えていたが甘かった・・・・何度も公演で訪れていた釜石の見慣れていたはずの景色が出てこない。



 道路脇のフェンスに乗り上げたままの車が地震から一ヶ月経った今もそのままだ。この車の反対側はJRの釜石駅。そちら側はかなり片付けが進んでいる。だが、この道路を隔てた反対側からは瓦礫の山・山・山・・・

 津波で押し倒された防潮堤、防潮堤を超えて陸地に乗り上げた幾つもの船、折れ曲がった電信柱がささったままの家、津波で天地が逆さまになって転がっている家々。車に乗っているメンバーの口数が少なくなる。


 釜石を過ぎ大槌の街に入ると今度は火災の後が生々しい。地震のあと襲って来た津波で流された家のプロパンや車に残っていたガソリンが何かの弾みで出火しそれが燃え広がったらしい。焼けた家や学校、車の数が夥しい。


 13:00頃、最初の目的地 大槌町の弓道場に到着。

 ここは、避難所と周辺の家は無事だったがライフラインが断たれていて炊き出しに頼っていらっしゃる方々合わせて1,000人程の人が暮らしている。

 弓道場は土間、避難生活の最初の頃は土の上にブルーシートを敷いただけで地面から寒さが直に伝わり、とても寒かったらしい。避難所の人達が協力し合ってブルーシートの上に畳を敷き土ぼこりの舞わない環境を作り上げたのだという。
   僕たちのコンサートを聴きながらこんな風に笑顔をみせて手拍子をしてくれた。

 弓道場に付いた時は丁度パキスタンの方々がカレーの炊き出しをしていて、避難所にはとてもいいにおいがしていた。
 食事を受け取るのに邪魔にならないように準備を始める。
 食事の受け渡しが一段落した所で、避難所の代表の方が僕たちを紹介してくれてコンサートを始める。

 阪神淡路大震災のときもそうだったが、太鼓の音で地震の事を思い出さないかとか色んな考えが頭をよぎって緊張が高まって行く。何を喋ろうか考えるが言葉がうまく出て来ない。とにかく皆さん今日は!っと言ってコンサートが始まった。

 始めの貫井囃子で避難所の皆さんが手拍子をしてくれる。良かった!楽しんでくれている!少し、緊張が解けて行く。

 花祭りで、更に手拍子が大きくなっていく。もしかして、地震の後、こんな風に音楽に乗せて手拍子を打つのは初めてかも知れない。そう思うと涙が出そうになる、と同時にとっても嬉しくなる。

 次はオリジナル曲の ”春に降る雪" これは 箏と篠笛の曲だ。
 冬の厳しさと春の暖かさ。その季節の移ろいを表現したくて作った曲だ。でも、こんな状況で演奏する時が来るなんて思いもしなかった。
 3月11日 地震が起こった時は3月とは言え、とても寒いときだった。きっと暖かい春を避難所で暮らす人達は待ちわびているはずだ!自分にそう言い聞かせ(勝手に避難所の人達の気持ちを解釈して)心を込めて笛を吹く。避難所がシーンとする。それまで寝そべっていた人まで起き上がってこっちをじっと見ている。怖かった。地震が起きてからの事を色々思い起こさせているんじゃないかと・・・そんな感じがして本当に怖かった。

 そして、最後の演奏に入る。
 最後は威勢のいい水口囃子だ。再び手拍子をしながら楽しんで聴いてくれる。

 演奏が終わった。拍手が鳴り止まない!本当に鳴り止まない!アンコール!アンコールと声もかかる。
 ああ、良かった喜んでくれたんだ! 正直 ホッとした!  カレーを持って来てくれたパキスタンの方々の紹介があってから、アンコールにソーラン節を手拍子とかけ声を一緒にやってもらいながら踊る。
 皆さんが生き生きとかけ声をやってくれる。手拍子をしてくれる。何だか避難所が一つになったような気がした。

 鳴り止まない拍手の中を次の避難所に向けて移動する。

 今日は、もう一カ所 大槌町の公民館にうかがう事になっている。

 公民館の近くの学校の空き地に仮設住宅が建ち始めている。その小学校も焼け落ちて鉄筋だけが焼け残っている。授業はこれからどうするのだろう?

 大槌町では7年程前に高校でRoadの公演をした事がある。その時、食事をしたスーパーも津波でまったくダメになっていた。

 
 公民館でも、同じプログラムの演奏をする。
 館長さんがステージの明かりを点けて下さり、少しでも舞台をやりやすいようにと心を砕いて下さる。更に、わらび座の皆さんのコンサートがありますよと館内放送までかけて下さる。

 一番前にいたおばあちゃんに童謡をやってくれないか?とリクエストされる。私たちが準備していなくて対応出来ず、おばあちゃんには本当に申し訳なかった。

 終わった時、また来てね。と沢山の人から声を掛けられる。子供が1人 大輔君の所に走りよって来て、太鼓を叩かせてもらっている。本当に楽しそうだ。もう一回、もう一回といつまでも続きそうな感じ。本当に楽しそうだ!

 こうして、一日目の日程は終わった。
 今日一日でわらび座の原点、一番困っている人達の役に立つ文化の仕事をする事。その事を凄く感じた。こういう状況でいつも公演をしている訳ではないけれど、このことをいつも忘れずに居ようと思った。

 帰りの車の中で明日は童謡をいれようと話し合う。春よ来い、花、ふるさと、手のひらを太陽にをやる事にしてKyeや一曲毎の長さを打ち合わせる。合わせる時間もスペースも無いので各自シュミレーションして明日はぶっつけ本番だ!

 21:00過ぎにわらび座に到着。

 明日は5:30出発の確認をして一日目 解散!

 明日は妻も東京へ "おもひでぽろぽろ" 公演のスタッフとして出発の日だ。お互いの無事を祈って、ちょっとだけワインで乾杯!


 4月10日(日曜日)・・・晴れ

 4:50起床! ご飯が炊けているのを確認しておにぎりを3個つくる。
 同時にコーヒーも淹れて朝食の準備。

 5:25家を出る。

 5:30皆が揃って劇場前を出発。朝もやがかかっていて見通しが悪い。靄を通して太陽が白くくっきりと輪郭をみせている。とっても明るい大きな月のようだ。今日もきっとうまくいくような気がして来た。

 6:40生協に到着。今日は釜石と陸前高田の2隊に分かれるらしい。陸前高田のトラックの後に付いて出発。前走するトラックのスピードが今日は速い!何度も見失いそうになりながら、必死に付いて行く。

 9:00過ぎに陸前高田に入る。川に沿ってかなり上流まで津波の上がって来た爪痕が残っている。

  9:30過ぎに炊き出しのサンビレッジという名称の避難所に到着。対策本部の方に生協の方と一緒にお会いした後、コンサートが可能かどうかお聴きする。快くOKして下さる。
 だが、今日は日曜日で晴れていることもあり、若者達は避難所の整備の為に作業に出かけていたり、ご家族で避難している方達は流されたお家の片付けに行っていたり、と避難所に残っている人が少ない様子。でも、せっかく来たのだから何人という人数の問題ではなく、そこに居る人達に聴いて頂こうと準備を進める。(この状況は次に伺ったモビリオというオートキャンプ場でも同じだった)

 昨日と同じように、外で生協の方々は牛丼作りの準備をはじめる。

 
 僕たちは中でコンサートの準備を始める。
 準備が整ったところで、対策本部の方がコンサートが始まるよ!と放送をして下さる。
 20人くらいの人達が集まってくれる。
 一番前に子供達がさっとやってきて陣取ってくれる。目がキラキラ輝いている。どんな状況でも子供って元気だなア!子供達の姿に僕もすごく癒される。自分が癒されてどうするんだ!って感じだが、本当に癒される。
 
 今日はぶっつけではあるが童謡メドレーも入れてみる。
 昨日と同じように色んな所で手拍子が起こる。

 さあ、いよいよ童謡メドレーだ。春よ来いが終わり、花も終わる。ふるさとが始まったとたんに涙ぐむ人が沢山いた。津波に流された自分たちの街 陸前高田のことを思うと泣けて来たのだという。

 数日前の新聞に仙台フィルの団員たちが市内のお寺でコンサートを開いたと言う記事が載っていた。演奏曲目のなかにやはり ふるさと が入っていた。              

              "志を果たして いつの日にか帰らん"

  という歌詞が唄の中にある。その志をという所を 必ず仙台を復興するんだという "志" という意味にして地震で離ればなれになったとしても、いつか必ずまたここで合おう、帰って来よう! そんな思いを込めて演奏したという記事だったように記憶している。 陸前高田も同じように必ず復興して欲しい。僕たちも涙ぐむ人達を見ながらその思いがぐっと強くなる。

  ・・・だが、現実はもの凄い惨状だ。

 
 ただ、ただ瓦礫が広がっている場所が海に向かって何処までも、何処までも続いている。海岸線を走ると。瓦礫を何とか押しのけてやっと車を通れるようにした道が出来ている。所々道の端が崩れていて、それが更に道を狭くしている。海には津波で流され屋根だけ水面に浮かんでいる家が何軒も見える。

 瓦礫の上では遺体の捜索活動があちこちでやられている。どこに行っても、陸前高田は寸断された道と、津波でグネグネになった線路が見える。 
 
 一体いつになったら元の街が帰った来るのだろう? あまりの状況に胸が押しつぶされそうだ。

 今日、2回目にやらせて頂いた "モビリオ" というオートキャンプ場では支配人として頑張っていらっしゃる方の会社が津波で跡形も無く流され会社自体が無くなってしまったそうだ。
 キャンプ場の指定管理団体だった会社から支配人として派遣されていた中でのこの災害。仕事として来ているのに会社が無くなり一体僕は仕事をしているの?それともボランティア?と明るくおっしゃっていたが自分の存在が宙に浮いている状態が1ヶ月たっても解消されないでいる。

 そんな、モビリオでも牛丼を食べて頂きながらコンサートをさせて頂いた。
 どうぞ食べながらゆっくり聴いて下さいといいつつ、花祭りではしっかり手拍子を頂く!食事の手を休めさせてしまった事を詫びつつも、メドレーで再び手拍子を頂きたくなる。おっといけない、まずは食事を優先して頂こうとそこは理性を働かせながら聴いて頂いた。

 ここでも、子供達が元気に外で遊んでいた。元気な子供達は明日への希望だ!瓦礫とのギャップが余計にそう感じさせる。

 コンサートが終わってから先程の支配人さんが話しかけてくれた。ゴダイゴのタケカワユキヒデさんにとても良く似ている方だ。
 春に降る雪は情景が目に浮かんで泣きそうだったよと嬉しそうに言って下さる。
 サンビレッジでも同じように言われたが、祭り囃子なんていう存在を地震以来思い出した事も無かった。今日は何だか普段の生活を取り戻したような気分になって本当に良かった。ありがとう!そう言って下さった。

  演奏を終えて片付けていると何処の避難所でも誰彼となく近寄って来て津波の話が始まる。そして、今後の不安へと話は続いて行く。
 僕たちにはただ、話を聞いてあげる事しか出来ないけれど、今回の災害は本当に先が見えないなんだなって、話を聞く度に思いしらされ、人間の無力さも感じました。

 でも、地震が起きてすぐは早い者勝ちで場所を取っていた避難所も誰彼と無く話し合って運営方針を決めて、住みやすいように協力しあって住環境を良くしている人達に沢山出会いました。人間ってこうやって一つ一つ困難を乗り越えて行くだという事も改めて感じました。
 大槌の弓道場を土ぼこりの立たないように何とか工夫してきたという人は、自分の街をもっともっと住みやすくするんだ、僕は諦めない!と言っておられました。
 こういう人が居る限り街は大丈夫だろうと甘いかも知れませんが、大丈夫だろうと僕は思いたい! 本当に、酷い状況ですが、必死に行きている人達に出会って僕は逆に励まされました。励ましに行きたいと思って行きましたが、本当に励まされました。そして、人間ってすごいなあって心底感じました。

  14:00頃 サンビレッジに再度集合してから現地は解散。僕たちは生協の本部に一度立ち寄って、今日の報告と今回のプロジェクトに参加させて頂いた事へのお礼をお伝えして秋田に帰って来ました。

 18:30劇場前に到着。2日間の疲れをお互いにねぎらいながら響、岩手組散会しました。   
 津波を人生で6回経験していると話して下さった方。
 近所の高台にあった民家にかろうじて津波から逃げたが、今度は火が山に燃え広がってここは危ないからとお年寄りをおぶったりして山道を必死に逃げて来た事を話して下さった方。  ワカメ取りの準備をしていたら地震が起きてとっさに津波と思い逃げたが、後からどんどん押し寄せて来る波から命からがら逃げたと話してくれた方。
 本当に色んな状況で逃げ延びた話を沢山聞かせていただきました。
 助かった命を大切にして欲しい。これからの被災された方々の人生が豊かなものであって欲しい。そう願わずにはいられません。

 これからも、こういう活動を時間が許す限り続けたいと思っています。

 私たち響の歌姫 杏さんも 阪神淡路大震災で、当時は高校生だったそうですが、自分達に何ができるんだろうか?と必死に考えて自分達の合唱を聴いてもらいたい!そう思って現場にかけつけたそうです。
 その時、涙を流して喜んでくれた方々の姿を見て、ステージから生きる喜びを伝えられる仕事がしたい!こう思ったのがわらび座に入るきっかけだったと、いつか話してくれたのを思い出します。

 私たちを必要とされている方は、是非、是非声をかけて下さい!何とか時間を見つけて駆けつけたいと思います。
 何を書いてもあの現実には及びません。が、僕たちに出来る事は何でもやりたい。そんな気持ちにさせられたというか、背中を被災地の方々にピシッと叩いて伸ばされた、そんな感じです。

 ご協力頂いた皆さん。特にわらび座東北営業所の菊池冴さん、大波さんにはお礼を申し上げます。

 長文に最後までお付き合い頂いた皆さんにも感謝!感謝!
 これからも、響 頑張ります。


 これにて、岩手日誌の終了です。