たまには、真面目な話を。
世阿弥の書いた「風姿花伝」の「年来稽古条々」の「十七八より」の項に、こんな言葉があります。
「生涯にかけて能を捨てぬより外は 稽古あるべからず
ここにて捨つれば そのまま能は止まるべし」
わが生涯にかけて芸を捨てぬ以外には、稽古の方法はない。
ここで捨てれば、そのまま芸は終わってしまうだろう。
・・・というような意味です。
十代前半の、何をやっても愛らしく華やかな時期(義満と出逢った頃の世阿弥のような)を過ぎ、
体つきも変わり、声変わりを経て今まで通りのやり方が通用しなくなる17,8歳の時期。
たとえ指さされて他人に笑われても、意志の力を奮い立たせて、
一生の分かれ目はここだと、日々の稽古を怠らないように。
17歳はとうの昔に走り去っていきましたが、
今になって、やればやるほど、ずしーんと重くのしかかってくる言葉です。
誰にでも新人時代はあるわけで・・・
フレッシュで、若さの華があって、失敗してもかまわないから体当たりでやれと言われ・・・
(本人はいっぱいいっぱいですけどね)
でもその時代もあっという間に終わり、
その後はただひたすら「人の心を打つ何か」を追い求めていく芸の修行の日々が続くばかり・・・
失敗するわけにもいかず、プライドも芽生え、鼻をへし折らなきゃいけない時もあり、
他人と比べられ、自分自身も誰かを比較し、停滞もし、後退することもあり、
その中で成長の根拠となるのは日々の稽古だけなんでしょうね。
一生の分かれ目って、毎日がそうだし。
ずぅーっとこの言葉は一緒についてくる、いや、待ち伏せしてるのかも。
たぶん、あらゆる仕事にも置き換えられますね。
生きることにも。
そんな話でした。